02 開業時からの編成推移


昭和56年

当初8両編成が2編成、6両編成が4編成の構成としていたが、営業開始前に乗り入れ先からの要請があり、組み換えて8両編成を4編成、6両編成を2編成という形で営業運転が始まる形となった。

その後中間車を6両増備し、最終的に1次車は右図の形となった。

昭和57年

2次車は路線の半蔵門延伸に伴って製造された。

2次車は第06編成の中間車2両と第07編成〜第09編成の先頭中間8両で、これにより全車が8両編成となった。

昭和62年

3次車として第15編成〜第19編成の中間車各2両が製造され、この時点では第03・04・06・07・08編成の中間に組み込まれ、一時的に10両編成となって運用された。

同時に10両編成の3次車、第12編成〜第14編成が製造されているが、この3編成は東西線の輸送力増強の為に仕様を東西線向けとして竣工しており、この時点では一時的に東西線で運用されていた。

平成元年

三越前延伸に伴い4次車が52両製造された。

10両編成での製造は第11編成の1本で、第15編成〜第19編成は今回製造の4次車に、別編成に組み込まれていた2両の3次車を組みなおし、番号の揃った10両編成に組成された。

第08編成・第09編成の中間車各2両は、この時点では第08編成と第06編成に組み込んだ。

一時的に東西線で使用されていた3次車(第12編成〜第14編成)は、このタイミングで半蔵門線へ転籍となった。

平成2年

水天宮前延伸時に最後の10両編成となる5次車が投入された。

平成6年〜

8両編成で残っていた第01編成〜第07編成の中間車各2両が増備され、全車が10両編成となった。

これにより編成内の番号も揃い、以降現在までこの編成形態で運用されている。