形態に関する情報・考察 赤地は直近の更新で追加した部分

(1)固定編成化と組成

銀座線は昭和41年から終日6両運転を開始したが、この時点では特定の編成や組成はなく、1200、1300形の付随車化および中間車となる1500N形が出揃った昭和43年より固定編成化が実施された。
昭和43年から昭和58年まで編成にほぼ大きな変更はなかったが、01系の登場により昭和59年から昭和61にかけて在来車の組替えが行われ、比較的車齢の若い車両に組成しなおされた。
この為、組成としては時期により大きく2パターンに分類することができる。

また、固定編成化後も通常第5車両となる1200形が第3車両へ組成されているなど、組成変更が行われていた記録が残っている。理由については定かではないが、車両の更新(B修)に際した車両の差し替えなど、一時的に組成を変更していたのではないかと推測される。
詳細は編成表・編成の変遷を参照。

 

(2)前灯

2000形までの各車の前灯は白熱灯1灯であったが、1600形以降の車両については昭和40年〜43年にかけて全車シールドビーム化が行われた。
これは灯具外枠はそのまま使用し、内部の電球部分をシールドビーム化した形態である。
2000形に関してはその後昭和55年〜60年頃に先頭運用可能車に限り2灯化が行われたが、これは予備の確保が目的であり、通常は向かって左側を使用することとしていた。

銚子・日立電鉄への譲渡車は左右2灯とも点灯させているが、銀座線時代は切換スイッチによる選択方式であった為2灯点灯は不可能であったと考えられる。

 

(3)尾灯

中間車化以前の1400形までの車両の尾灯は車外に取り付ける吊り下げ式であったが、1500形以降は車体に直接取り付ける方式のものになり、2000形まで統一されたものが採用されている。
この尾灯の灯具はレンズ部分に蝶番がなく、内部から電球を交換するタイプのものと推測される。車体色に塗装されている。

2000形はB修車から電球を外側から交換できるタイプのものに取り換えられるようになった。
無塗装アルミ製で、蝶番がある関係で従来よりわずかに形状が大きいのが特徴であるが、中間車化された車両に関してはB修車でも原型のまま存置された場合がある。

 

(4)方向幕

行先表示器が導入されたのは1800形からであり、「簡易方向幕」と呼ばれる小型の表示器を運転士側前面窓上部へ設置した。
簡易方向幕はその後の新製車、また1000形等1800形以前の車両に対しても設置され、昭和36年頃には運転台のある車両には全車取付けられるようになったが、これに伴い側面に設置されていた表示板差し(サボ受け)は撤去、増備途中であった2000形も昭和36年頃の新製車からサボを省略して製造となったようである。

簡易方向幕は車号により照明方式に違いがあり、2092号車以前の車両は白熱灯方式、2093以降の車両は蛍光灯方式となっている。
これは2000形の2093号車から室内蛍光灯方式が変更された事に関連したものと思われる。

また、2000形は昭和49年頃より方向幕の大型化が行われるようになり、これに併せ設置位置を運転士側から車掌側へ変更した。
表示順序など内容については方向幕対照表を参照。

 

(5)塗装

戦後車体色を選定し、昭和24年より車体全体はオレンジイエロー、雨どいより上部はインディアンレッドと呼ばれる赤茶色に塗装する事に定められた。例外は1500形および1600形の1684号車までで、これらは屋根の構造上新製時から一貫してオレンジ一色に塗られている。
また、特殊な例として1500N2形のM2車のみ、上雨どいより上部は銀色に塗装されて落成したとされている。これは、室内温度変化に与える影響を調査する目的であったとの事であるが、M2車全車に実施していたのか、初回の塗り替えまで銀色のままであったのか、それより前に塗り直されたのか、塗り替え時期を含め詳細に関しては不明である。

概ね4年周期で塗り替えが行われていたが、昭和59年塗装車からは簡略化の為に2色の塗り分けが廃止され、以降は全車オレンジ一色に塗られるようになった。
切り替わりの時期となる昭和60年代前半は2色塗りの編成と1色塗りの編成が混在して走っていたが、塗装の塗り替えは編成ごとに行われていた為、前述の例外を除いて編成内で異なる塗り分けの車両が混在していたという事は無く、どちらかに統一されている。

なお、2000形の場合、2色塗装車は前灯の形態によって灯具の塗装が異なり、1灯の場合灯具はインディアンレッド、2灯の場合灯具はオレンジイエローに塗装されている。

床下については2000形までの車両は機器類は黒、台車は昭和35年頃までに製造された車両は黒、昭和37年頃の新製車からはグレーに塗装されており、概ね昭和50年頃には黒塗装されていた全車両の台車がグレーに変更されている。
1500N形については新製時から機器、台車共にグレーとなっているが、昭和50年代後半頃からは2000形においても主開閉器や低圧接地箱など機器の一部がグレーに塗装されていた場合がある。

貫通幌は1500N1形の新製時のみ、ホロ布を含めた幌の内外が全てオレンジ色であったが、後年ホロ布は張り替えられてグレーになっている。これ以外の車両は当初よりホロ布はグレーであり、幌金具(幌枠と接する端部の部分)のみ車体色に塗装されている。

 

(6)簡易幌と全周幌

もともと新製時より全周幌が設置されていたのは1500N形のみで、2000形までの車両には取り付けられておらず、1800形から搭載された簡易幌と呼ばれる保護装置のみの設置であった。これは貫通路の下半分に設置されたロールカーテン状の布を他車と交互に連結させる形態のもので、非常時の通行に限られたものである。
簡易方向幕と同様、順次全車に設置される事となった。

全周幌化が行われたのは昭和38年から41年にかけてで、1900形以前の車両は両妻面、2000形については切妻面に幌枠が設置された。
2000形前面への設置は、編成の中間に組成する為の一部車両を除いて基本的には設置されていない。
前面への全周幌枠を設置する場合、貫通路部分のアンチクライマーは撤去されて左右に分割されたような形態となる。これは幌の設置にあたりアンチクライマーが干渉する為であるが、同様の理由により貫通扉左右にある手すりもやや内側へ向けて設置しなおされている。

全周幌設置後、簡易幌は一部部品が撤去された車両も存在したが基本的にはそのままとされ、昭和40年代から50年頃にかけて完全に撤去されている。残存時期が長期にわたっており、撤去のタイミングについても車両によりバラバラとなっている。

編成を分割した際、幌は1端側へ収納され2端側は幌枠のみとなる。これは丸ノ内線へ転属した2000形でも同様で、2端側へ収納される本線の500形系列とは逆向きとなっているようである。

開戸タイプの貫通扉となっていた1500形〜1700形については安全面を考え昭和50年頃に貫通扉を撤去した。(1200形〜1400形は中間車化の際に一部を除き撤去済)

 

(7)側引戸

東西線の5000系が登場するまでは全ての営団車のドア窓は側窓と同じ上下寸法となっていたが、銀座線では昭和43年に製造された1500N形より、5000系に準じた小窓のドアとなった。
これは引きこまれ防止の観点から採用されたものである。

在来車においても1300形〜2000形の一部で小窓の扉にされた車両が存在するが、これは車両更新(B修)でドア交換を実施している為で、1500N形の製造に併せ、同時期の更新車より小窓化が盛り込まれるようになった。
1300形と1600形は小窓ドアと大窓ドアの車両が混在していたが、これは1500N形が導入される昭和43年以前に実施された初期のB修車、及び1300形車両改良車が存在している為で、これらは大窓のままドア交換がされたものである。
上記の理由もあり1200、1300形の両形式はドアの形態がいくつか見られる為、当サイトでは以下の4種に分類した。

A:原型タイプ(下部枠あり)
B:原型タイプ(下部平板)
C:1500〜1700形の原型扉と同形状(昭和43年以前ドア交換車)
D: Hゴム支持(小窓)

 

(8)側窓

落成時は鉄製で窓枠は車体色に塗装されていたが、昭和52年の車両更新(B修)車からユニット窓化が行われ無塗装アルミサッシとなった。
これは同年より車内無塗装化が推進されることになり、更新に併せ車内内板の化粧板化などと共に施工されるようになったものと推測される。

昭和52年以前に更新された車両においても後年(〜昭和58年頃)改めて車内無塗装化のみ施工された場合があり、この場合は廃車まで短期間ながら無塗装アルミサッシの姿になっている。

 

(9)妻窓

2000形の妻窓は車両に関係なく全車@側が開閉可能となっている。これは妻面の貫通扉の開く方向が一定にしてある(A側へ向けて開く)為であり、この関係でA側の妻窓は戸袋となる為固定窓となっている。

開閉可能窓は側窓と同様、塗装された鉄製の窓枠となっており、形状としては落とし窓(一段下降窓)になっている。
車内無塗装化の推進により、昭和52年の車両更新(B修)車から側窓同様アルミサッシ化されたが、アルミサッシ化後は原型の形態に合わせた一段下降窓の場合と、側窓と同形態の二段窓に変更された場合の2パターンが存在するようになった。

下降窓収納部の腐食対策や工法の簡略化等、理由についてはいくつか考えられるが、 昭和52年〜昭和54年の更新車は一段下降窓、昭和54年以降の更新車は二段窓になっている傾向がある為、更新時期により途中から変更されたものと思われる。

なお、2000形の落成時の妻窓は全車一段下降窓である為、塗装窓で二段窓だったパターンは存在しない。
唯一の例として存在するのは1500N形で、1500N1形は妻窓は塗装二段窓、1500N2形は無塗装アルミサッシ二段窓となっている。

1200形〜1400形では中間車化後に妻窓がHゴム支持となっているものがあるが、これは戸袋窓のHゴム化と併せて実施していたものである為、戸袋窓と妻窓の形態はどちらも同じ処理となる。

 

(10)車側灯

2000形までの車両は落成時戸閉表示灯のみ設置されていたが、後年非常報知器(非常通報器)の動作、および過負荷を判別しやすいよう表示灯が2つ追設された。1500N形は新製時より全て設置されている。

配列は上から戸閉(赤)・過負荷(無色)・非常報知(橙)の順であるが、付随車化された1200形および1300形、そして空気車である1500N形のM2車は過負荷表示灯は無く、戸閉・(空間)・非常報知と灯具1灯分を空けたような配置となっている。

 

(11)アップ車

昭和43年の固定編成化に際し、編成出力の均一化の為、付随車化された1200、1300形の電動機を使用して1700形の一部を4個モーター化した「出力増強車(通称:アップ車)」が登場した。
識別の為に車号ナンバーの先頭には「+」の記号が加えられている。付随車の場合は「○」の記号である。

 

(12)IRアンテナ

昭和40年からIR(誘導無線)方式による列車無線の使用が開始され、前後して各車に棒状の壁面アンテナが設置されるようになった。設置は1500形〜2000形までの形式に限定し、このうち両運転台車は2端側の左右前面窓端に1本づつ計2本、2000形では妻面に対して左側(運転台と同じ側)の妻窓端に1本を設置している。
丸ノ内線の2000形は通信ケーブルの位置関係から昭和50年代半ばより前面にもアンテナを増設し、本線の500形と同様の見附となっている(運転士側前面窓端)。

なお、線路間送受信用として床面にもアンテナが設置されているが、これについても後年(昭和50年前後)追加設置されたものである。

 

(13)レスポンスブロック

昭和43年の固定編成化に併せ、列車の運行状況を指令所に送信するため「レスポンスブロック/列車番号情報車上素子箱」と呼ばれる運行番号を検知させる装置が取り付けられた。各編成の渋谷側先頭車の前面@側腰部に設けられ、ここに差し込まれた列車の運行番号を地上装置で識別し、指令所へ表示していた。
平成3年頃より使用されなくなったが、以降廃車まで素子箱(枠部分)は残されたままであった。

この方式は丸ノ内線〜有楽町線でも使用され、日比谷線では妻面、東西線以降は床下に設置されていた。銀座線においてもごく初期においては日比谷線のように妻面に設けられていたが、実用上の問題があり前面部に取り付けられる事になったようである。

丸ノ内線では本線のみで分岐線では使用されていない。

 

(14)台車

1200形〜1400形は経年の為昭和50年〜52年にかけて台車の交換を行っている。
同様に2000形の2043号車以降についてもほぼ同時期に台車更新を行っているが、こちらは形式はそのままで台車枠の取替となっている。

 

(15)空気バネ試作車の番号交換時期

2000形のうち、2043と2044の2両は営団としては初めての空気バネ試作車であるが、当初は2029、2030を名乗っていた。
空気バネ台車の試験後、2045以降の車両も空気バネ方式を採用する事が決まり、この2両は2043、2044と車号を交換、 2029〜2042までがコイルばね車、2043以降は空気バネ車と台車形式ごとに車号を揃えた格好になっている。

文献等ではこの車号交換は「のちに」「後年」と記載されており、具体的にいつ頃行われたものなのかという点については定かにはされていないが、竣工から1ヶ月後の昭和35年3月には車号交換後の姿で運用されている記述が当時の営団社内報にあり(第65号)、竣工時には既に車号を交換していたと考えられる。
なお、この関係で2029と2030は2000形のトップナンバーであるが、次車としては2次車に分類される。

 

(16)運行番号

運転士側前面窓上部に運行番号を記載した札を掲げている。これはレスポンスブロックに表示された番号と同一となる。
この運行番号札は運用ごとに固定された数字が書きこまれたものである為、何らかのトラブルで運用を変更する必要があった場合の備えとして裏側が黒板状になっており、運用番号を手書きで記入して表示できるようになっている。

固定編成化以前は列車番号に倣い運行番号の末尾に所属区を示すアルファベット(上野:U/渋谷:S)が書かれていたが、固定編成化後は所属が上野へ統一されたのか数字のみを表示している。

 

(17)シルバーシート

現在でいう優先席であるが、昭和50年より各編成先頭車の妻面寄り両側の座席に設定された。当初座席部分の側窓と妻窓に室内からステッカーを貼り付けたが、すぐに外側からも識別できるよう外板戸袋上部にもステッカーを貼り付けた。
1900形については車端部の座席が無く設定できなかったという記述を見かけるが、設定されていたと言う話もある。また、実車もすぐに組み替えられる事なく10年にわたって先頭に出ていた点を考えても疑問がある為、状況については詳細を調査中。

 

(18)1500N形が旧型車に挟まる形で製造された理由

1500N形はいわゆる高性能車ではあるものの、形態としては旧型車に合わせた構造の中間車で製造される事となった。
60両も製造されたのであれば新車として6両固定編成を増備する考え方もできたのではないかとも思われるが、これは銀座線全車両のうち25%が新性能化されても輸送力増強に繋がらないという考えに基づいているとされる。

 

(19)車両更新

営団としての車両の大規模な更新は、昭和39年より1200形、1300形、1400形に施工された「銀座線車両改良」と呼ばれる中間車化改造、及びそれに伴う車両の近代化工事が最初のものとされている。
当時は更新や廃車等を決定する明確な基準が営団内はもとより他社、国鉄共に存在しておらず、営団内部で各種検討を行い概ね45年で廃車すると仮定し、前述の「銀座線車両改良」の内容を参考に、昭和42年より状況や経年に合わせた長期的計画として、「車両更新基準」を制定した。

更新はA修、B修、C修の3段階とされ、 これらの更新を組み合わせて40年程度で廃車とする周期を基本にしていると言われている。
それぞれの更新内容は時期により僅かに違いがあるが、概ね

C修:窓枠及びドア等のゴム類、パッキン、フェルト、床敷物などの取替
B修:内板、屋根の更新、ぎ装品・配線の取替、ドア及びガラス窓枠、床敷物などの取替

となっている。
A修については更新基準で定められてはいるものの内容については「未定」とされており、現在まで営団車全体を見ても実施された事は一度もない。
その理由としては、車両の代替等でA修まで到達する車両が存在しなかった、またはB修、C修の周期を実施していく中で、材質の向上・高寿命化等によりA修を行う必要性が無くなった為などが考えられる。

当初設定していた更新基準は6年周期であり

  新造-6年(C修)-12年(B修)-18年(C修)-24年(A修)-30年(C修)-36年(B修)-42年(廃車)

としていたが、前述の通り材質の向上等により見直しが行われ、車両の新造や更新時期に合わせて以下の基本周期に変化している。

 【あ】1200形-2070

  新造-6年(C修)-12年(B修)-21年(C修)-30年(A修)-39年(C修)

 【い】2071-2132

  新造-6年(C修)-12年(C修)-18年(B修)-27年(C修)-36年(A修)

 【う】1500N形

  新造-9年(C修)-18年(B修)-27年(C修)-36年(A修)

【あ】の1500形以降、及び【い】【う】については、実際は概ねA修時期前後には廃車に到達している為、A修は未実施である。

【あ】の1200形〜1300形については、廃車時の車齢が最大で52年に達していた車両が存在する。周期通りであれば上記更新周期を大きく上回り運用されていた事になり、A修も実施されている事になるが、「銀座線車両改良」実施時は更新基準制定前であった為、同改良がA修〜C修のどれに相当するのかは不明であり、また、実施についても周期にはカウントはされていないようである。

その後も周期は延長され、1987〜2016年現在の車両では概ねC修10〜12年、B修20〜25年程度となっている。

 

(20)表記類

・車号 
銀座線の場合は運転台側妻面の腰部左右、側面中央の側引戸に向かって左側の窓(両開きの場合は戸袋)幕板部に車号が記入されている。
丸ノ内線の場合は運転台側貫通扉腰部、および側面に対して最も右側にある側引戸に向かって左側の窓(両開きの場合は戸袋)幕板部に車号が記入されており、500形等本線車と位置を合わせた格好になっている。
運転台の無い妻面には車号は記入されない為、2000形の妻面には車号が記入されないほか、中間車となる1500N形は側面にしか車号が無い。ただし、元々運転台のあった1200〜1400形に限っては中間車化後も例外的に両妻面に車号が記入されている。

・検査票差し/検査票
1400形までの車両は1端@側、及び2端A側の側面外板下部に対角に検査票差しが取り付けられている。どちらも検査票が入れられているが、1500形からは検査票差しは片側(2端A側)のみとなった。更に1800形以降は外板取り付けをやめ車内取り付けとなっている為、車外には無い。
検査票は上から全般検査の期限年月、実施年月、実施工場の順に記されている。実施工場は省略記述で中工(中野工場)、小工(小石川工場)の表記となるが、小石川工場が分場となる昭和46年以降は重要部検査までの担当になった為、末期は中工のみであったと思われる。

・重量表記
1900形までの車両は1端@側、及び2端A側の側面外板下部、1400形までの車両でいう検査票差しの上に重なる様に重量表記が記入されている。これについては検査票と異なり1500形以降の車両についても2か所に記入されている。
丸ノ内線に転籍した100形の場合は車号と同様に本線車と同じ要領に改められており、2端前面@側の尾灯内側1か所のみとなっている。
2000形は切妻面、1500N形の場合はユニット間の妻面(幅広貫通路側)の向かって右下部隅に記入されている。
重量表記は上から定員、形式、重量の順に記されている。

・塗装施工表記
1900形までの車両は2端前面、@側の下部隅、尾灯の外側付近に記される。2000形の場合は切妻面、1500N形の場合はユニット間の妻面(広幅貫通路側)の向かって左下部隅に記入され、重量表記と線対称の位置関係になる。
塗装施工表記は塗装実施年月と施工会社が枠囲いで記されている。施工会社は省略2文字+「塗」の3文字であり、管理人の知る限りでは手塚塗(手塚車輌)、三和塗(三和車輌)、関東塗(関東工業)の表記がある。
丸ノ内線本線の保存車には日電塗という表記が見られるが、これは日本電装が保存車の塗装を行っている為であり、営業車には存在しない。

・表記色
銀座線は黒に見えるが群青色である。丸ノ内線の場合は車号のみ白色で、他の表記は群青色である。