現存マーキュリー像一覧


 

設置の背景

元々は1950年、戦災で傷んだ銀座駅の出入口8箇所を改築するにあたり、当時の営団工務課長が「銀座の中心部にふさわしく、文化国家を象徴するようなものにしたい」と、彫刻家である友人の笠置季男(かさぎすえお)、その美校時代の同級生である建築家の大沢健吉に相談し、設計された出入り口の袖壁にシンボルとしてブロンズ像を置く事とした。
それがこのマーキュリーの像である。

銀座駅での設置以降、シンボルとして日本橋・池袋の2駅にも制作設置されたが、その後の駅改修工事等により更に他の駅などに移設されるようになり、以降現在までの長い間、東京の地下鉄の顔として親しまれている。

また、この像は営団、現在の東京地下鉄にとっても特別な存在という認識があるようで、駅以外にも本社ビルや施設に象徴として置かれている。

 

 

像の考察

【1】制作年
完成は1951年。合計で約30個程度制作されたと言われているが、正確なところは不明である。
当初は金色であったが金と間違えての盗難を防ぐ為、直ぐに暗めの色に塗装しなおされたというエピソードが残っている。

 

【2】モチーフ
「マーキュリー」とは、古代ギリシャ神話のヘルメスと同一視されるローマ神話の神であり、幸運、富裕、商業や交通を司るもので、旅人の守護神として題材に選ばれたものと考えられる。

像はと抽象化された頭部がモチーフとなっており、「若者の希望に燃えた表情」を表現する為、制作の際にはベルリンオリンピック100m走の選手がスタートを切る瞬間の表情を参考にしたと言われている。
スピード感のある形状で、ダイナミックな造形が戦後の力強い希望を象徴していると評される。

 

【3】作品タイプ
設置されている像には大きく分けて2種類が存在する。
これは銀座駅への設置以降、日本橋駅の設置に際し原型を作り直した為であるとされており、後から制作した物(後期)の方が僅かに大きく作られている。
また、全体的に後期のものの方がデザインが洗練された印象を受け、見比べてみると細かい部分に違いがある。

 

左:初期の制作(銀座駅) 右:後期の制作(池袋駅)

側面から見ると、後期に制作されたものの方が頭部の丸みが強調されており、目元のラインもはっきりしている。
また、首が長く顔のサイズも大きく作り直されているが、全体的に上下左右がほぼ同じ大きさをしている。
対して初期に制作されたものは顔の大きさに対して頭の後ろの羽根状のデザインが大きくとってあり、全体的に前後方向に長い形状をしている。

 

左:初期の制作(銀座駅) 右:後期の制作(上野駅)

正面から見ると、後期に制作されたものの方が僅かに横方向に広く、ほぼ左右対象の形状で見上げているような顔立ちになっている。
対して初期に制作されたものは頭部が小さくスリムな造形で、顔はやや正面を見ており、後期に比べるとやや左右非対称で僅かに首が右を向いているような印象を持っている。

 

左:初期の制作(銀座駅) 右:後期の制作(池袋駅)

後面から見ると正面と同様、全体の大きさの違いや、後期に制作されたものの方がほぼ左右対称の形状をしている点が見てとれる。
また、羽根状のデザインは前期よりも後期の方が頭の丸みに沿って曲線がつけられている為、造形の違いがはっきりと出ている。


左:初期の制作(銀座駅) 右:後期の制作(日本橋駅)

像を上部から見ると、後期制作のものは頭部がより丸みを帯びている点や、後ろの羽根状のデザインは初期制作のものの方が長めに作られている点が分かりやすい。

 

左:初期の制作(銀座駅) 右:後期の制作(地下鉄博物館)

像の首の部分には制作者である笠置季男のサインが入れられている。字体にも違いが見られる為、像の形状と併せて像の制作時期をある程度絞る際の参考とすることができる。

 


 

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