こんにちはしゃとるです。

 

 

 

夏休みの宿題なんて全くやらなかった(おいおい…)小学生時代ですが、同級生の「近所を流れる川に架かる橋を歩いて全部写真を撮ってきた」という自由研究を見て以降、「どんな些細なことでも研究になるのか!」と興味を持ったものはとにかく食い散らし、軸が定まらなかろうがお構いなし。

後先を考えない、よく言えば思い立ったら即行動の人生。
バイキング形式の料理では配分を考えず序盤に単一の料理を山盛りにして生きてきてしまいました。


いままでの人生で積み重ねてきたそれらが果たして「研究」なるものだったのかは疑問ですが、この「しゃとるーむ」もそんな流れの延長にありまして、「発車メロディのMIDIサイトでも作るか」と2000年末、安易にスペースを取ってから内容を考え、翌2001年1月に「ぐりぃん・しゃとるのしゃとるーむ」として開設しました。
以降なんとかBveという主軸にできるものを見つけ、現在に至っています。

世の中的には個人webサイトも少なくなってきていますが、とりあえずはこのままやっていこうと思っています。

 

 

この2つのイラストは、片付け中に出てきた保育園時代の園児カードです。

担任の先生が1人1人に手作りしていたものですが、見る限り自身の趣味はここから既に始まっていたようで。

今考えると1人1人手作りってのも凄い話ですが、それもまた、自身の創作活動のきっかけのひとつになっていたのかもしれません。

 

 

 

要はカードの図柄にされるくらい、その頃から電車しか見てなかったという。

写真はオープンしたばかりのビヤステーション恵比寿(1985年)にて。

 

 

下敷き集めからはじめるBve(?)

運転シミュレーターが好きかというと実はそうでもありませんでした。
正直今もそんなに好きってわけじゃないんですが(じゃあ何でBveやってるのかという話です

小学生になると鉄道系博物館にハマるようになりましたが、いわゆる運転シミュレータにはほぼ興味がなく殆ど体験のない幼少期でありました。
最も通っていたのは地下鉄博物館です。当時来館すると貰えた下敷きの数を友人と競ったりしましたが(?)、
そんな地下博でもシミュレータは20歳近くまでほーぼ経験しないままでした。

その一方、模擬というものに対しては何かしらの興味をもっていたようで、小学校の避難訓練のとき、先生が「今日は校内に煙を模して発煙筒が撒かれ…」と説明していたときになぜかワクワクしていたことを覚えています。

そのとき期待したほど発煙筒が撒かれていなかった点に不満が残り、より火災現場らしい煙を求めてしばらくは防災イベントで煙体験ブースを見ると夢中で入ることが多かったという(もはや何が何だか

大人になって分かってきたのは、運転シミュレータというより、当時の実写映像を用いたシミュレータにあまり興味が向かなかったという感じなのかなというところでして、技術の進歩によりCGを使用したシミュレータが登場すると、その再現の広さに興味を持つようになりました。
どうもこの辺が怪しいですね。

現在の世にある訓練系シミュレータも、筐体の前に映像が実車かCGか、というところに目が行ってしまいがちで、果たしてBveからCGシミュレータに興味を持ったのか、CGシミュレータからBveに興味を持ったのか、その源流は今もってタマゴかニワトリか状態ですが、映像がCGで構成されている点が、自分がBveにハマった理由ということは間違いないと思います。

 

 

肝心のBveは高校生の頃、友人から当時のBve1.22を教えて貰って初めてプレイしました。

今となっては風景表現も当然とばかりなBve作品の数々ですが、当時最低限のストラクチャで構成された路線を脳内補完しながら運転するのも新鮮で、CG然としたCG表現も、自分のCGシミュレーター心を駆り立てたのかもしれないです。

 

新宿にて。253系はデビュー時からそのデザインがお気に入りでした。(1992年)

 

 

ディズニー世代1983(?)

東京ディズニーランド開園の年に生まれたことが関係したのかどうかわかりませんが、鉄道と共に自身と少しだけ結びつきのある趣味といえるかもしれないです。ディズニー。
年パスも持ったことないし、地蔵趣味もないのでぜんぜん、素人同然。ただアトラクションが好きなだけという説も。


思い起こせば小学校の卒業遠足がディズニーランドでした。
短編アニメが家にあったので、子供の頃はイカボード先生を見て震え、グーフィーのマイホームパパでは愛のトンネルに入っていく坊や(Jr)の「ウィーーーー!!」に、ドナルドのリンゴ園では当時のドナルドの吹き替えであった関時男さんの声に育てられての今があります。

中学の時に初代のナイトパレードであったエレクトリカルパレードが終了し、ファンティリュージョンというパレードに変わったのも、何度と足を運ぶきっかけになり子供時代の思い出のひとつでした。

当時何かと理由をつけ同級生を誘ってはパークに行きましたが、都度みんな集まってくれたりしまして、たまたまですが色々いいタイミングだったんだなと思います。

ラッキーナゲットカフェ少年(1989年)

現在はキャンプ・ウッドチャック・キッチンとなったほぼ同地点のターキーレッグおじさん(2024年)

 

・性格 ぐうたら ひるね 抵抗3兄弟

・好きな物 丼か重 烏龍茶 冷房

 

 

 

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