1200形 1231-1254 製造年 S8-S9
・概要
旧東京地下鉄道製造の車両である。
従来の車両と比べ電気品が国産に切り替えられた事もあってか、昭和43年の60両更新の際にも残存した唯一の形式である。
・経緯
両運転台車であったがS39年より運転台を撤去して中間電動車化され、更にS43年付随車化。S59-61年までに廃車された。
昭和50年代に戸袋窓・妻窓のHゴム支持化が行われている。
正面貫通路は中間化改造された際に貫通扉を撤去し、扉無しとなっている。
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1300形 1355-1369 製造年:S24-S26
・概要
営団初の新造車両。車体は1200形を踏襲した構造であるが、従来半室であった乗務員室を全室化した。
1200形まで片側6個であった屋根上のベンチレータが8個になっている事が外観上の特徴となっていて、 車内に18個ある灯具のうち16個はこのベンチレータによる通風器を兼ねた構造になっている。
また、S24年製のグループは1200形よりもリベットの多い車体であったが、S25年製(1361)より全溶接構造になった為リベットのない車体となっている点が外観上の違いとなっている。
・経緯
1200形同様運転台撤去を伴う中間電動車化を経てS43付随車化、S59-S61までに廃車された。
昭和50年代に戸袋窓・妻窓のHゴム支持化が行われている。
正面貫通路は中間化改造された際に貫通扉を撤去し、扉無しとなっているが、1359、1366の2両は他車と異なり貫通扉が残存しており、乗務員室も撤去されず残存している点が特徴である。
廃車後入換車転用の予定があった等の説もあるが詳細は不明。
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1400形 1470,1471 製造年S28
主電動機出力90kW*2
・概要
元々は丸ノ内線の試作・検修および運転の教育用として製造された車両であり、その為当初主要部品は300形と同様であった。
3か月の教習用途の終了後、S29年に部品を300形へ譲り銀座線用に改造された。
室内の蛍光灯化や軸流送風機などを搭載しており、 ノーシルノーヘッダーで屋根の薄い車体、大きな角形通風器が特徴。
・経緯
S40年に運転台撤去を撤去し中間電動車化されており、1200,1300形とは違いS60年の廃車まで電動車のままであった。
昭和50年代に戸袋窓・妻窓もHゴム支持化が行われているが、戸袋窓は2両で形態が異なっている。 (1470-窓枠にHゴム支持/1471-窓枠を平滑化しHゴム支持)
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1500形(1) 1572-1574 製造年:S29
主電動機出力90kW*2
・概要
丸ノ内線300形の思想を元に設計されたもので、この車両により銀座線の車両・車内のデザインが大きく近代化された。
屋根構造にも300形の思想が反映されている為、屋根部の形状が特徴で、その関係もあり製造時から1色塗装となっている(前頭部・肩部という可能性もあり)。
・経緯
中間車化に伴う運転台撤去はされず、運転台は廃車まで全車残存となっている。
昭和40年頃から誘導無線(IR)が搭載され、2端側にアンテナが2本設置された。 但し同時期施工の前灯シールドビーム化の対象からは外れており全車白熱球のままである。
正面貫通扉は開戸の為昭和50年に撤去している。S60-S61廃車。
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1600形 1675-1689 製造年:S30-31
主電動機出力90kW*2
・概要
1500形をベースに製造したもので正面貫通扉幅が550mmから700mmに拡大された点が異なる。
1685以降は300形譲りの二段屋根をやめ、構造を簡易化して一段屋根構造とした。
この為、屋根肩の通風口形状が変更となり、1685からは再び前頭部・肩部インディアンレッドとした1400形以前の2色の塗り分けに戻っている。
・経緯
中間車となって以降も運転台撤去はされず、運転台は廃車まで全車残存となっている。
昭和40年頃からIRが搭載され、2端側にアンテナが2本設置されたほか、 昭和40年〜43年頃にかけて前灯がシールドビーム化されている。
正面貫通扉は開戸の為昭和50年に撤去している。
側引戸はB修の施工タイミングにより原型と同形状のものと、Hゴム支持の小窓のもの2種がある。
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1700形 1701-1718 製造年:S31
主電動機出力90kW*2/90kW*4(アップ車)
・概要
当初1600形の予定であったが、増備の過程で番号が足りなくなってしまう為に形式を変更したと言われている。
この為1600形の後期車と形状が良く似ているが、通風口と上部水切りの形状や、車内の一部に僅かな違いがある。
営団車両でおなじみのニューヨーク地下鉄譲りの車両番号は、銀座線では1700形から採用された。
S59-S61廃車。
・経緯
中間車となって以降も運転台撤去はされず、運転台は廃車まで全車残存となっている。
昭和40年頃からIRが搭載され、2端側にアンテナが2本設置されたほか、 昭和40年〜43年頃にかけて前灯がシールドビーム化されている。
正面貫通扉は開戸の為昭和50年頃に撤去され、 側引戸はB修時に全車Hゴム支持の小窓のものに交換された。
昭和43年の固定編成化時、1500Nを含まない編成に組み込まれた1700形の一部は、編成出力を均等化する為に1200及び1300形の付随車化で捻出されたMMを使用し4M化された(アップ車)。
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1800形 1819-1826 製造年:S33,S34
主電動機出力90kW*2
・概要
1700形までは構造上の都合で側引戸が片扉であったが、1800形から構造上の問題が解消し両開き扉となった。
併せて従来開戸であった前面貫通扉が引戸とされ、1800形で銀座線車両のデザインはほぼ確立された。
車内放送装置や簡易方向幕、簡易幌といった装備も当形式から採用。
S59-S61廃車。
・経緯
中間車となって以降も運転台撤去はされず、運転台は廃車まで全車残存となっている。
昭和40年頃からIRが搭載され、2端側にアンテナが2本設置されたほか、 昭和40年〜43年頃にかけて前灯がシールドビーム化されている。
側引戸はB修時に全車Hゴム支持の小窓のものに交換された。
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1900形 1927,1928 製造年:S34
主電動機出力55kW*4
・概要
1800形と同時に発注されたWN駆動の試作的車両で、車体は1800形と同様となっている。
レジン制輪子が採用され、試験を経て順次他車へも採用された。 S62廃車。
・経緯
1800形以前の車両と異なり、長らく編成の先頭車として使用されていた。中間車となって以降も運転台撤去はされず、運転台は廃車まで残存となっている。
昭和40年頃からIRが搭載され、2端側にアンテナが2本設置されたほか、昭和40年〜43年頃にかけて前灯シールドビーム化されている。
側引戸はB修時に全車Hゴム支持の小窓のものに交換されたほか、1927は昭和43年の固定編成化時に1端の前面にレスポンスブロック受けが設置された。
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2000形 2029-2132 製造年:S34-S38
主電動機出力55kW*4
・概要
1900を元に片運転台化したもので、奇数車が渋谷向き、偶数車が浅草向きとなる。
元々は2両背中合わせで組成する格好となっていたが、2両ユニットではなく基本的には同一の1M車を2両繋げたものである。
2045以降は空気バネ車で、これは営団として初の採用である。
・経緯
昭和40年〜43年頃にかけて前灯シールドビーム化されている。また、側引戸はB修時にHゴム支持の小窓のものに交換されている。
当初2031-2044がコイルばね車、2045以降は空気バネ車、2029,2030は空気バネ試作車であったが、この2両は後に2043,2044と車号を振り替えて番号が揃えられた。
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1500形(2) 製造年:S43,S56 主電動機出力85kW*4(1両あたり)
・概要
S43に1000,1100,100形の3形式を置き換える為に製造された60両(1次車)、およびS56年に2000形を丸ノ内線へ転籍される為の代替として製造された8両(2次車)、
計68両の中間電動車で、銀座線車両では初めてのカム軸式制御器を採用し、MGや応荷重装置も搭載したMM'ユニット方式の新性能車である。
・経緯
1500形は既にS29年に製造された1572-1574の3両が存在しているが、それらとは全くの別ものである。形式が同じ為、現場では「新1500形」、1次車を「1500N1」、2次車を「1500N2」などと呼び区別していた。
1500N1は冷房化の計画があった関係で、在来車と違い送風機とダクトを用いた送風方式となっており、屋根肩の通風口が車端部以外無い。
また、当初荷棚上に照明広告装置を設置した事に伴って側窓高さを荷棚寸法に合わせた恰好になっており、在来車と比べて窓見附が異なっている。
これに対し1500N2では軸流送風機による換気方式に戻した為、通風構造や窓見附が2000形と同等となった。側窓はバランサ付きになると共に、ホーム側からも開閉できるようにした為、窓サッシの形状は2000形と比べ若干の異なっている。
側引戸は落成時よりHゴム支持の小窓のものであり、銀座線車両では当形式で初めて採用された。
また1500N2については、従来車両では全てのドアを一斉で扱っていた妻面のドアコック(戸閉主管三方コック)が、操作した側のみが開閉可能となるように@、A側でそれぞれ独立して設けられた。これは営団では初めての採用である。
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