(1) |
2016年現在、駅改修や欠落などにより不明となっているものもあり、ホームに残存している事が確認できるものは36種90枚である。
また、過去の新聞に「全108枚のうち4枚は事務室内等に設置されている」との記述があるが、それらの報道の真偽・真相について現時点では確認することができず不明である。
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(2) |
現在では専ら田原町駅の装飾とされているこの芸能紋であるが、元々は田原町駅のほか浅草駅にも設置されていた。
しかし浅草駅のものは状態が非常に悪く殆ど剥がれ落ちてしまっており、田原町駅のように鮮明に残っているものは無い。1970年代の時点でも数枚、2016年現在では1〜2枚が断片的に残るのみとなっている。
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(3) |
画像の状態は、当時の営団総務部長が所属していた美術関係の集まりで話題に上ったことをきっかけに、1969年に清掃・塗装を行って復元し、白黒の2色によって塗り分けらた時のものである。
それ以前は埃や汚れが入り込んだまま壁と共に塗装されていた為、殆ど見分けがつかない状態であったといわれる。
この復元には上記総務部長の家族とその同級の美大生が携わり、時間を手間をかけて現在の状態にまで戻された。
A線浅草寄り、柱番号21〜19付近までの5枚に関しては、それよりも前から変電機器が設置され塞がれたようになっていた為か、他のものより比較的良い状態を保っている。
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(4) |
1971年には駅長及び助役が定紋の身元特定を行い始め、紋章の下部に手書きの解説を取り付けた。また、どうしても判明しない12種に関しても、駅ホームに一覧を貼り利用者からの情報提供を求めた事で殆どが判明した。
画像に写っている筆書きの解説はその際のものである。
ただし、A線柱番号17付近にある紋章だけは、36種のうち唯一現在も持ち主が判明しないままとなっている。
歌舞伎役者等の定紋として該当するものが見当たらず、設計者が遊び心で自身の紋など何らかの紋を作成して加えた、またはそもそも間違って作られた(!?)等、いくつかの推測もあるが、真相は90年近く経った現在も闇の中である(地下鉄だけに)。
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定紋の解説や役者名は基本的に(4)の身元特定の際に取り付けられた解説書きに則っている。中には確証が無いと思われる記述も見られるが経緯等を踏まえそのままの内容を記載した。
解説書きに記載がないものに関しては考えられる名称を () 書きで当てはめている。
画像は冷房工事、駅改修等など様々なタイミングで撮影したものであるが、一部は保護網の外から撮影している為不明瞭なものがある。
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